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古道具さわだ お道具資料編

古道具買取り店「京都さわだ古道具」の書画骨董、茶道具などお道具にまつわる資料を日々まとめております。読者様のご参考にしていただければ幸いにございます。

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越前焼(越前古窯址群)-福井県の焼物(中部地方)

越前焼の解説です。

越前焼は福井県の陶器になります。

ここでは越前古窯址群(えちぜんこようしぐん)として説明していきたいと思います。

福井県丹生郡織田町並びに宮崎村地内6カ所の古窯址があります。

會原・増谷古窯址、熊谷古窯址、小熊谷古窯址、平等大釜屋敷古窯址、焼山古窯址、織田山中古窯址が認められています。

遺品は、壺、甕、鉢などが主です。
嘉元4年(1306)銘の壺が発見され有力な編年の資料になっているものもあります。

鎌倉時代の古窯はいずれも丘陵の傾斜地に設けられた穴窯式です。初期の作品は古常滑のものと区別しがたいものもあります。
時代が下がり室町時代のモノは特徴があるために区別は容易になっています。
壺、甕ともに特異な刻文や押印が多く見られるのが特徴になっております。

また、日本六古窯にあげられており、室町時代から江戸時代にはお歯黒壺が多く見られ現在でも人気があります。

越前古窯址地帯を流れる天王川を挟んで対岸には越前須恵器窯址がみられ、南の古窯址群として35基、越前古窯址群としては約100基の須恵窯址が認められています。







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参考文献『原色陶器大辞典』

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越中瀬戸焼ー富山県の焼物(中部地方)

越中瀬戸焼の解説です。

越中瀬戸焼(えっちゅうせとやき)は越中国新川群瀬戸村(富山県中新川郡立山町)の古陶です。

その起源は、古文書から次のように読み解かれいます。
1593年(文禄2)4月に前田利長は陶工の彦右衛門を招き尾張の瀬戸焼に類似した土を見立てさせます。次いで1598年(慶長3)7月に孫市なる人物もまた国内で土石を捜索し1600年7月に新川郡芦見(立山町芦見)あたりに窯を築いたと記されており、これを越中陶業の始まりで芦見の地は瀬戸村と呼ばれるようになります。

また別に、小二郎という人物が1600年頃上末村(立山町上末)に住み陶器を焼き、1621年(元和7)には尾張から陶工の長八という人物が来て従業しました。

彦右衛門窯の地を上瀬戸、孫市窯の地を下瀬戸、長八窯の地を中瀬戸と呼びました。そして1640年(寛永17)孫市の次男が分家し新しい窯を開きます。この地を新瀬戸と呼びました。

全盛の時代は寛永年中(1624-1644)から安政(1854-1860)に至る約230年間で、その間藩より陶窯業権、永代年貢御免などの保護を受けました。なお他で瀬戸物を製するものが現れた時にはその窯を破壊するまで至ったと伝えられているそうです。
このことより、良工が輩出され、釉薬、焼成法の研究が盛んになり、遺物の白磁・青磁、黄灰色、淡紫色、褐紫色、黒褐色などの器に当時の状況がうかがえます。

明治の変革期には藩の保護を失ったために廃業する者や、百数十年前に加賀金沢城の本丸の瓦を焼いた経験より瓦業に転向する者が増えたとされます。

大正5(1916)年、和三郎窯を最後とし陶窯は絶えました。

現在発見されている代表的な窯跡は

上瀬戸 11カ所
下瀬戸 14カ所

に及んでいます。









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小鹿田焼ー大分県の焼物(九州地方)

小鹿田焼の解説です。

小鹿田焼(おんたやき)は、豊後国日田郡大鶴村小鹿田皿山(大分県日田市)の陶器です。

1705年(宝永2)柳瀬三右衛門・黒木十兵衛によって開窯されたのが始まりとされ現在に続く窯です。日本を代表する民窯の一つとも呼べるでしょう。

延享元年(1744)には筑前国(現福岡県)朝倉郡小石原村からさらに手法が伝わり、以来農業の傍らに飛鉋(とびかんな:一番のみどころ)、白絵、指描き、櫛描き、流し釉などの大小の甕、壺、鉢、土瓶、徳利、茶碗、すり鉢、片口など古格のある器を製出しています。

昔より窯元の数は変わらず8室の一窯があります。その窯を10戸の家の人たちが二組交代で月に一度ずつ焼き続けます。









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参考文献『原色陶器大辞典』、『やきもの辞典(平凡社)』

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プロフィール

HN:
澤田
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性別:
男性
職業:
古物商

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