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古道具さわだ お道具資料編

古道具買取り店「京都さわだ古道具」の書画骨董、茶道具などお道具にまつわる資料を日々まとめております。読者様のご参考にしていただければ幸いにございます。

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尾戸焼ー高知県の焼物(四国地方)

尾戸焼の解説です。


尾戸焼(おどやき)は土佐国(現高知県)の陶器です。

高知藩の藩窯では高知城の北側の小津尾戸(高知市小津町)にありました。のちに同市の能茶山(のうさやま)に移りました。

承応2年(1653)の始まりで陶器が主であったが、能茶山に移窯後は磁器も焼かれるようになり現在に及んでいます。

【山内氏の入国と開窯】

関ケ原の功により山内一豊が土佐国を拝領します。以後山内家の藩政が明治まで続きます。
一豊の没後、二代藩主忠義の時代に入ります。

忠義は豪放な逸話に富んだ人物とされ、野中兼山を執政とし存分に手腕を振るわせ、土佐の大事業の重要部をほぼ一代で成し遂げます。

その晩年に尾戸の開窯が知られています。しかし当時忠義は中風を患い江戸にあったらしく、実際の事業推進は執政の野中兼山でありました。

開窯の動機は、肥前焼の流れを押さえることであって、高級な贈答用のやきものや茶器の他、一般の日用品の生産を目標としました。
開窯指導者の久野正伯のもと森田久右衛門と山崎平内が最初の弟子となり、この両家が正伯帰国後の尾戸焼を継承していきました。

【尾戸焼の陶工】

久野正伯ー森田家、山崎家

●復興尾戸焼の人々

中島祐利(号:空哉、空翁):官史出身、大正八年森田窯を譲り受ける。

中西福太郎(号:宗晋):陶器商、茶人。


中西福太郎(宗晋)作:紋皿



川田蘭山:銀行退職後、好きなやきものの道に入る。

中川半九:会社員。後半生やきものに没頭する。


【尾戸焼の窯印】

文献には定かではないみたいだが次のものがあげられています。
「朝」「高平」「屋山」「宗閑造」「尾戸」。







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参考文献『原色陶器大辞典』、『日本やきもの集成(四国徧)』

      『日本古陶名款集(中国・四国徧)』

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御深井焼ー愛知県の焼物(中部地方)

御深井焼の解説です。


御深井焼(おふけやき)は尾張徳川家の御用窯で焼かれたものです。
名古屋城の外廓御深井丸にあったものです。

藩祖の義直が産業保護政策から瀬戸工の分散を惜しみ、慶長15年(1610)にまず美濃国の土岐郡郷ノ木村(岐阜県土岐市曾木町)から藤四郎十四世孫仁兵衛(号:岳翁、古仁兵衛)と唐三郎(利右衛門)を招きます。1616年(元和2)に開窯し仁兵衛・唐三郎がまず従業し、のち太兵衛(赤津村住)も参加し各々の子孫が相続していきます。その後一旦中絶します。

十代斉朝が瀬戸の陶工加藤唐左衛門に再興させます。以後廃藩になるまで継続し、その間の赤津村の春岱は名工と賞賛されました。

1871(明治4)年、瀬戸のお茶屋と共に窯を取り去られ廃絶。

【御深井焼の特長】

土は以前より私掘を禁じられた祖母懐土を使用。はじめ古瀬戸風の黒褐釉を主とし高雅なものを出したが、中期頃より特殊な御深井釉が現れ御深井青磁とも呼ばれました。
他に安南焼の写しも作られました。

【御深井焼の銘印】

初め頃は楕円枠無しで「祖懐」、小判形、長方形、枠無しで「祖母懐」の銘を使用。
再興後のものに瓢箪形「深井」丸「深井焼印」がある。また「御深井」の印もある。





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参考文献『原色陶器大辞典』、『日本古陶名款集(東海・甲信徧)』

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網田焼ー熊本県の焼物(九州地方)

網田焼の解説です。


網田焼(おうだやき)は肥後国宇土郡網田村(熊本県宇土市網田町)の磁器です。

1791年(寛政3)藩主細川候が肥前有田の陶工を招きこの地に窯を築かせます。保護奨励されついには国産の一物となり幕府に献上できるまでになったそうです。

文政年間(1818-1830)に最も繁栄します。しかし、廃藩後徐々に衰退し1932、1933年(昭和7,8)頃には廃窯となりました。


【網田焼の銘印】

「肥後國宇土郡網田山製」の書名が確認されています。雑器には無銘のものが多いとのこと。






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参考文献『原色陶器大辞典』、『日本古陶名款集(九州編)』

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大萱窯ー愛知県の焼物(中部地方)

大萱窯の解説です。


大萱窯(おおかやがま)は岐阜県可児郡可児町久々利大萱の古窯群のことです。

黄瀬戸・志野・織部を多く焼いていました。茶入れの破片は瀬戸付近ほど多くは出土していないようです。

大萱の西方部のウンバガフトコロと呼ばれる箇所は古窯群のうち最古の窯と考えられ、元亀・天正(1570-1592)の頃と推測されています。

現在は牟田洞、窯下、中、弥七田の四つの窯跡が残っています。
この中で最も重要とされている窯は牟田洞で、1577年(天正5)加藤源十郎景城が開いた窯といわれています。

志野の名品とうたわれるものは、ほとんどこの窯で焼かれたといわれています。
「卯花墻(うのはながき)」「住吉」「竹の子筒茶碗」などの破片がここより発見されそれを証明しているようです。





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参考文献『原色陶器大辞典』

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大崎御庭焼ー東京都の焼物(関東地方)

大崎御庭焼の解説です。


大崎御庭焼(おおさきおにわやき)は現東京都品川区大崎にあった出雲国松江藩主の松平治郷(不昧公)の別邸の御庭窯で焼かれていました。



1816年(文化13)頃、布志名焼陶工初代土屋善四郎(※1)および楽山窯初代長岡住右衛門(※1)を招き焼かせました。
(※1は出雲焼項を参照されたしhttp://kottou.kyotolog.net/furudo-gu.blog/japaneseware/rakuzan-fujinaware


その作品群は茶器を主としました。銘印に「絲巻印(いとまき)」の型判や「一々」の彫銘が確認されています。










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参考文献『原色陶器大辞典』、『日本古陶名款集(関東・奥羽・北陸徧)』

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プロフィール

HN:
澤田
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性別:
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職業:
古物商

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