忍者ブログ

古道具さわだ お道具資料編

古道具買取り店「京都さわだ古道具」の書画骨董、茶道具などお道具にまつわる資料を日々まとめております。読者様のご参考にしていただければ幸いにございます。

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

萩焼ー山口県の焼物(中国地方)

萩焼の解説です。


萩焼(はぎやき)は山口県萩市と長門市で焼かれる陶器をさします。
陶祖は朝鮮渡来の李勺光・李敬の兄弟と伝えられています。

毛利輝元が1604年に萩に入府に際し、勺光が萩市椿東(旧松本村中之倉)に開窯し「御用焼物所」と称し松本萩の礎を築きました。
1657年には分かれて長門市深川湯本の三ノ瀬に深川萩が誕生しました。
この二窯の系譜が現在まで継承されています。

三島手・粉引手・刷毛目・伊羅保など高麗茶碗の影響が認められ、高台に切高台・割高台など切込に特徴が見られます。

土味はざんぐりとした味わいが見られる。


①萩刷毛目茶碗


②刷毛目見込


③高台と土味



現在は、

松本萩の坂高麗左衛門・三輪休雪

深川萩の坂倉新兵衛・田原陶兵衛・坂田泥華

らがそれぞれ開窯以来の伝統を受け継いで焼いておられます。






----------------------------------------

参考文献『やきもの事典』

----------------------------------------


 


 


 


 


 


そのガラクタ捨てるの待ってください!!


眠ったままの古道具・骨董品はございませんか?


きちんと拝見ししっかりと買取ります!!


         ↓↓


ホームページ:http://www.sawa-d-guya.com


 


 

PR

飯能焼ー埼玉県の焼物(関東地方)

飯能焼の解説です。


飯能焼(はんのうやき)は埼玉県飯能市八幡町で焼かれた日用陶器です。

天保年間(1830-1844)双木清吉が信楽の陶工を招き始めたと伝えられています。

白いイッチンによる文様が特徴です。






----------------------------------------

参考文献『やきもの事典』

----------------------------------------


 


 


 


 


 


そのガラクタ捨てるの待ってください!!


眠ったままの古道具・骨董品はございませんか?


きちんと拝見ししっかりと買取ります!!


         ↓↓


ホームページ:http://www.sawa-d-guya.com


 


 

万古焼ー三重県の焼物(関西地方)

万古焼の解説です。


万古焼(ばんこやき)は江戸の中期に伊勢で沼波弄山が始めた古万古による一連の雅陶をさします。
当初は赤絵が主体でしたが有節万古(ゆうせつばんこ)ではピンク色の正円子(しょうえんじ)釉を用いた粉彩が盛んに焼かれるようになり、四日市万古では1890年代以後は赤土素焼の急須類が中心を占めるようになっていきました。

また伊勢以外でも、

栃木県の足利万古・松沼万古

福島県の田島万古・二本松万古

秋田県など各地で焼かれた無釉焼き締めの茶器類もそのように呼びます。







----------------------------------------

参考文献『やきもの事典』

----------------------------------------


 


 


 


 


 


そのガラクタ捨てるの待ってください!!


眠ったままの古道具・骨董品はございませんか?


きちんと拝見ししっかりと買取ります!!


         ↓↓


ホームページ:http://www.sawa-d-guya.com


 


 

備前焼ー岡山県の焼物(中国地方)

備前焼の解説です。


備前焼(びぜんやき)は岡山県備前市一帯に古窯跡が広がる中世~現代に続く陶器です。

その発祥は古代の須恵器を母胎として、備前市の医王山・不老山・竜王山・西大平山の山麓に中世の窯が30ケ所発見されています。

中世窯共通の甕・壺・すり鉢を焼きましたが、早くから中央の文化の動向に敏感で、茶壺・花瓶などの茶道具も併せて製作してきました。

室町後期にはいち早く侘びの茶の湯の勃興に従い茶陶を作り上げ、水指、花生に優品が多く見られます。
また備前市伊部の周囲に北・南・西の大きな三窯が築かれて木村・森・頓宮(とんぐう)・寺見・大饗(おおば)・金重の6姓が窯元本家となる習慣が定着しました。

江戸時代に入ると技巧的な伊部手が焼かれました。これは時流の好みに対応したものと考えらており、江戸の後期になるほど細工物への関心は強くなっていったみたいです。

終始無釉の焼き締め陶器であったが、江戸の中期頃から青備前・白備前・絵備前・彩色備前などを焼き始めるようになっていきました。



絵備前福神香炉


宝暦参年癸酉造之 分銅内に「金」
(1753年に金重家が造ったと考えられる)



備前焼は現在も多くの窯で焼かれ続けています。







----------------------------------------

参考文献『やきもの事典』

----------------------------------------


 


 


 


 


 


そのガラクタ捨てるの待ってください!!


眠ったままの古道具・骨董品はございませんか?


きちんと拝見ししっかりと買取ります!!


         ↓↓


ホームページ:http://www.sawa-d-guya.com


 


 






姫谷焼ー広島県の焼物(中国地方)

姫谷焼の解説です。


姫谷焼(ひめたにやき)は備後国深安郡広瀬村姫谷(現広島県深安郡加茂町)の磁器をさします。

寛文(1661-1673)頃に焼かれたものと考えられています。
陶工市右衛門の名が知られておりその没後は間もなく廃窯したと考えらております。

作品には染付・赤絵・青磁などがあり、陶法は有田系統とみられます。
染付・赤絵はいずれも格調高く古九谷にも肩を並べるくらいの出来栄えです。

製作期間が短く遺品は非常に少ないです。幻の焼物とも。









----------------------------------------

参考文献『原色陶器大辞典』

----------------------------------------


 


 


 


 


 


そのガラクタ捨てるの待ってください!!


眠ったままの古道具・骨董品はございませんか?


きちんと拝見ししっかりと買取ります!!


         ↓↓


ホームページ:http://www.sawa-d-guya.com


 


 

資料検索

例)〇〇焼、〇〇県の焼物、固有名詞などを入力してお探しください。

プロフィール

HN:
澤田
HP:
性別:
男性
職業:
古物商

カウンター