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古道具さわだ お道具資料編

古道具買取り店「京都さわだ古道具」の書画骨董、茶道具などお道具にまつわる資料を日々まとめております。読者様のご参考にしていただければ幸いにございます。

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八代焼ー熊本県の焼物(九州地方)

八代焼の解説です。


八代焼(やつしろやき)は熊本県八代市(旧高田村)で茶陶を中心に肥後細川藩の御用窯でやかれたものをさします。
別名高田焼・平山焼とも呼ばれます。

豊前上野より細川忠興(三斎)の移封に従ってきた陶工尊楷(上野焼の祖)が1633年奈良木町の菊下谷に開窯しました。
1658年二代忠兵衛・徳兵衛兄弟が平山新町に移窯。
三代渡辺太郎助(号:百芝・喜楽)が白土象嵌の技法などを完成させました。
後期には太白焼(白高田)も焼きました。
1892年頃日奈久東町へ移窯、現代に至ります。

※関連項目※
上野焼⇒http://kottou.kyotolog.net/furudo-gu.blog/japaneseware/fukuoka-aganoware







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参考文献『やきもの事典』

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屋島焼ー香川県の焼物(四国地方)

屋島焼の解説です。


屋島焼(やしまやき)、八島焼とも書く。
香川県高松市屋島西町で平賀源内の門人三谷林造が1803年高松藩主松平頼義の命で開いた楽焼の窯。隠居後林叟と改名、のち代々この号を継ぎ昭和前期頃まで製陶しました。

また、久保祖舜が焼いた祖舜焼(寒霞渓焼)を後年屋島焼と名を改めた。








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参考文献『原色陶器大辞典』『やきもの事典』

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柳川焼ー福岡県の焼物(九州地方)

柳川焼の解説です。


柳川焼(やながわやき)は別名蒲池焼(かまちやき)とも呼び、福岡県柳川市蒲池で秀吉から土器司の朱印状を受けた家永(長)彦三郎方親が1604年に始めた柳川藩御用窯。

土器(かわらけ)や煤を擦り込んで磨いた黒色研磨土器で土風呂や涼炉などを焼きました。
幕末頃に閉窯。







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参考文献『やきもの事典』

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柳原焼ー福岡県の焼物(九州地方)

柳原焼の解説です。


柳原焼(やなぎはらやき)は福岡県久留米市の篠山城内で天保年間(1830-1844)に九代藩主有馬頼徳(号:月船)が開いた御庭焼きです。

諸国の陶工を招き、三島手・安南写など内外の茶陶を写させた。











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参考文献『やきもの事典』

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柳(梁)瀬焼ー愛媛県の焼物(四国地方)

柳(梁)瀬焼の解説です。


柳(梁)瀬焼(やなせやき)は愛媛県大洲市菅田町大竹の柳瀬山麓で大洲藩加藤家が1697頃陶工才兵衛に焼かせた御庭焼きに始まります。

のち民用の日常の陶器も焼き、享保年間(1716-1736)いったん閉窯。
再興した明治以後のものは梁瀬焼と書きます。








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参考文献『やきもの事典』

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プロフィール

HN:
澤田
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性別:
男性
職業:
古物商

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