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古道具さわだ お道具資料編

古道具買取り店「京都さわだ古道具」の書画骨董、茶道具などお道具にまつわる資料を日々まとめております。読者様のご参考にしていただければ幸いにございます。

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古曾部焼ー大阪府の焼物(近畿地方)

古曾部焼の解説です。

古曾部焼(こそべやき)は摂津国島上郡古曾部村(現大阪府高槻市古曾部町)の陶器です。


寛政2年(1790)頃に五十嵐新平が京風の窯を築いたのが起こりで「古曾部」の印を用いました。

二代新平は高取・唐津・高麗・南蛮などを写しました。

三代信平は嘉永年中(1848-1854)に京より陶工を招き清水六兵衛風を倣いました。行平・急須・盃・菓子皿・茶碗・火入・水注・花入などを製作しました。

四代・五代と続きますが、明治末に廃窯します。

代々いずれも様々な「古曾部」の印を用いています。



①古曾部焼 片口鉢


①の裏印


②古曾部焼 茶碗と裏印









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参考文献『原色陶器大辞典』

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湖東焼ー滋賀県の焼物(近畿地方)

湖東焼の解説です。


湖東焼(ことうやき)は近江国彦根(現滋賀県彦根市)の井伊候の藩窯です。

もともとは彦根に近い古沢村(彦根市古沢町)佐和山の麓にあったそうですが、後に製造所を拡張し彦根柳町および石ヶ崎村(石ヶ崎町)をその地に入れました。

14代藩主井伊直亮が創始、15代井伊直弼が難に遭遇し没すると衰退の一途をたどり、16代直憲の頃には陶工が離散や減地を命じられたちまち廃窯することに。

その継続期間は天保13年(1842)~文久2年(1862)にわたる二十年余りでした。

【湖東焼の特徴】

染付けを主とし陶器・青磁も産出、赤絵も焼付けました。写し物では青花・赤絵・呉須赤絵・青磁・織部・志野・交趾・高麗などなど多種にわたります。直亮時代には錦手・金襴手など精巧絢爛なものが多く見られます。直弼の時代は百老・羅漢・赤壁・松竹梅・山水・花鳥など中国の模倣が多く見られます。


【湖東焼の銘印】

直亮時代
「湖東」の二字、「淡海彦城」「金亀山東」「金亀山製」、単に「湖」の一字。

直弼時代
「湖東」の二字を一定させ、これ以外の銘や工人の銘を用いることを禁止。
無名のものが多い。
銘が確認されているものには、亀の輪郭に「湖東」(形状異する大小二種)、二重小判内に隷書「湖東」(大小)、同じく行書「湖東」、円内に「湖東」、二重輪郭小判形に楷書で「湖東」など。写し物には九谷・角福銘・成化製・大清嘉慶年製も見られる。


【広義の湖東焼】

藩窯の前の絹屋窯、後に山口窯。
直弼及びその他藩士の楽焼。
赤水・床山・自然斎・賢友ら藩窯当時の赤絵民窯。
敏満寺焼・久平焼・文助焼・亀七焼・円山湖東焼・北川焼・樋口焼・長浜湖東焼などの諸窯もある。
これらにはそれぞれ「湖東」の銘を款したものもあるので「湖東」とあるものをもって藩窯の湖東焼とするのは難しいとされる。






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参考文献『原色陶器大辞典』

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湖南焼ー滋賀県の焼物(近畿地方)

湖南焼の解説です。


湖南焼(こなんやき)は近江国(現滋賀県)大津のやきものをさします。
別名長等山焼・三井御浜焼とも呼ばれます。

嘉永4年(1851)に京の陶工永楽保全が交友のあった小泉義嶺の尽力によって円満院門跡覚諄親王の御用窯として始まったそうです。

呼称は大津の地が琵琶湖の南に当たることから。

作品は主として茶器・酒器・皿・鉢・下記などで種類は染付・呉須・赤絵・金襴手・蕎麦手・焼締物です。

【銘印】

書名には「於湖南永楽造」の六字二行が多く、「永楽保全製于湖南」の八字二行、「大日本湖南永楽保全造」の十字二行、「湖南永楽造」、鷹司公より賜った「陶鈞」など。
有栖川宮熾仁親王より賜った「以陶世鳴」の款識。これは売品以外に用いられたと考えられており、湖南窯以外には見られない書銘とされます。

押印には行書「長等山」無輪郭三字、楷書「三井御浜」角輪郭四字二行、「長等山」と「三井御浜」を共にもちいたもの、隷書「長等」長方形輪郭二字(ごくまれなもの)、「河濱」(新堀浜か湖南窯か不明)、「永楽」二字丸印(大中小)、隷書「河濱支流」四字丸印などなど。






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後楽園焼ー東京都の焼物(関東地方)

後楽園焼の解説です。


後楽園焼(こうらくえんやき)は、水戸徳川家の江戸小石川邸の後楽園内(現文京区)において焼かれた御庭焼きをさします。

宝暦年間(1751-1764)に始まったとされます。

当初は楽焼の類を、後に天保年間(1830-1844)に至って紀州偕楽園焼に倣い交趾写しを焼きました。

製品は上好なもので売り物ではなかったために世に残っているものは少ないそうです。

銘には「後楽」、「後楽園製」の円印が確認されています。
また徳川斉修(とくがわなりのぶー水戸8代藩主:1797-1829)作とされるものには「鼎山」、徳川斉昭(とくがわなりあきー水戸9代藩主、15代将軍慶喜の父:1800-1860)作とされるものには「景山」の銘がある。





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参考文献『原色陶器大辞典』

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小松焼ー石川県の焼物(中部地方)

小松焼の解説です。


小松焼(こまつやき)は加賀国能美郡小松(現石川県小松市)の楽焼の一種をさします。

文政10年(1827)、同地の粟生屋源兵衛が始めたそうで別名「粟生屋(あおややき)」とも呼ばれます。

製品は上釉は玉子色でその上に青釉などで彩画を施したもの。


※補足

近年の小松には九谷焼の陶画業者が多い。
明治初期の作家、松本佐平が著名。







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参考文献『原色陶器大辞典』

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プロフィール

HN:
澤田
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性別:
男性
職業:
古物商

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