忍者ブログ

古道具さわだ お道具資料編

古道具買取り店「京都さわだ古道具」の書画骨董、茶道具などお道具にまつわる資料を日々まとめております。読者様のご参考にしていただければ幸いにございます。

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

苗代川焼ー鹿児島県の焼物(九州地方)

苗代川焼の解説です。


苗代川焼(なえしろがわやき)は鹿児島県日置郡東市来町苗代川で焼かれました。
串木野焼に従事した朝鮮陶工によって慶長11、2年頃(1606、7)の始まりと考えられています。

中心人物は朴平意という人物です。製陶にたけ、藩主島津義弘の寵を受け清右衛門の名を与えられました。初代苗代川の庄屋を命じられました。
また当時に沈当吉という良き陶工もいました。島津氏は彼ら帰化陶工を非常に厚遇し子孫まで安心し業を営めたといわれます。

延享・寛延・宝暦(1744-1764)にわたる約20年間は一時休業しますが重豪が家督を継ぐと宝暦11年(1761)には再び製陶の復活を命じました。
明和(1764-1772)より寛政(1789-1801)に至る約40年間は薩摩焼の全盛期といわれています。
寛政6年(1794)堅野窯では金襴手を製出するまでになります。
この苗代川窯においても朴正官は藩庁に錦手伝授方を申上し、文政10年(1827)錦手部の設置に至ります。

慶応3年(1867)にはパリ万国博覧会で朴正官は精巧な錦手大花瓶を出品し好評を博しました。

また錦手部とは別に安政4年(1857)藩主斉彬により苗代川窯平に磁器工場が設けられ、沈寿官が取締役に命じられました。
明治4年(1871)に廃藩となり藩庁の支配は中止され間もなく県庁の配下になり、次いで陶器会社の設立があり藩設の工場はすべて会社の所有になりました。

明治10年(1877)に西南の役にあたり陶器会社は瓦解します。全村の陶工は生計の道を失い廃窯の危機に直面しました。
沈寿官はこの回復を図り同村の藤尾に新窯を築き再び隆盛させました。

日清戦争後の貿易の振興に従い苗代川製品も大いに輸出されましたが、やがて粗製に傾き玉光山陶工場も解散。
日露戦争後は名工・良き経営者がともに出ず衰退していきました。

製品は黒物をはじめ白陶原料を発見してからは白物も出すようになりました。
朴平意の頃は刷毛目・三島手・宋胡録などもあり。
朴正官の頃は錦手が盛んでした。しかし民窯のため白物を禁じられました。
沈寿官に始まった磁器は主に輸出品を多く生産しました。









----------------------------------------

参考文献『原色陶器大辞典』

----------------------------------------


 


 


 


 


 


そのガラクタ捨てるの待ってください!!


眠ったままの古道具・骨董品はございませんか?


きちんと拝見ししっかりと買取ります!!


         ↓↓


ホームページ:http://www.sawa-d-guya.com

PR

中野焼ー長崎県の焼物(九州地方)

中野焼の解説です。


中野焼(なかのやき)は肥前国平戸中野村(現長崎県平戸市)の陶器です。
慶長3年(1598)藩祖松浦鎮信に従属していた朝鮮陶工巨関によって開かれ、のちにこの地を皿山と称するようになってからは皿山焼とも呼ばれたそうです。
高麗風を倣い刷毛目・粉引などの器を出しました。

三川内焼出現の端緒となったものとされます。


※同じく九州地方には中野焼と呼ばれるものが筑前国(福岡県)にありますがこれは小石原焼の一名とされます。









----------------------------------------

参考文献『原色陶器大辞典』

----------------------------------------


 


 


 


 


 


そのガラクタ捨てるの待ってください!!


眠ったままの古道具・骨董品はございませんか?


きちんと拝見ししっかりと買取ります!!


         ↓↓


ホームページ:http://www.sawa-d-guya.com

鍋島焼ー佐賀県の焼物(九州地方)

鍋島焼の解説です。


鍋島焼(なべしまやき)は肥前国佐賀藩鍋島候が松浦郡大川内内山(佐賀県伊万里市大川内町)の御用窯で焼かせた精巧な磁器のことです。

その製品は将軍家・諸侯への贈答品に当てられた。

御用窯は初め有田岩谷川内にあり、寛文(1661-1673)初年頃南川原に移窯し、延宝3年(1675)に大川内に移窯されたそうです。

製品は多数の陶工の手を経たものであり、主は「色鍋島」と呼ばれる色絵物で他に染付・青磁もある。
呉須の色は大変落ち着きをもち、絵柄は非常に細かく巧みに描かれています。高台に櫛のような線描きがあるのも特徴でこれを櫛高台などと呼びます。


現代まで受け継がれ、無形文化財の称号を持つ今泉家がその伝統を引き継いでおられます。









----------------------------------------

参考文献『原色陶器大辞典』

----------------------------------------


 


 


 


 


 


そのガラクタ捨てるの待ってください!!


眠ったままの古道具・骨董品はございませんか?


きちんと拝見ししっかりと買取ります!!


         ↓↓


ホームページ:http://www.sawa-d-guya.com







野間焼ー福岡県の焼物(九州地方)

野間焼の解説です。


野間焼(のまやき)は福岡県福岡市野間町のやきものです。

文久2年(1862)に須恵皿山役所管理のもとに安永与十が棟梁となり開創しました。
製品は須恵焼と同種の磁器です。

維新の改革で明治3年(1870)廃窯となりました。

後に沢田舜山が明治8年(1875)頃に再興し行平・茶瓶・土鍋・土釜・植木鉢など精巧品を出しました。しかしながら間もなくして絶えました。














----------------------------------------

参考文献『原色陶器大辞典』

----------------------------------------


 


 


 


 


 


そのガラクタ捨てるの待ってください!!


眠ったままの古道具・骨董品はございませんか?


きちんと拝見ししっかりと買取ります!!


         ↓↓


ホームページ:http://www.sawa-d-guya.com

波佐見焼ー長崎県の焼物(九州地方)

波佐見焼の解説です。


波佐見焼(はさみやき)は肥前国彼杵郡波佐見村(長崎県東彼杵郡波佐見町)のやきものです。

三ツ股・中尾・永尾・稗古場などの窯場を含みいずれも大村藩に属しました。

【三ツ股窯】
高麗人が稗ノ尾に開窯したのが始まりで慶長10年(1605)に本島久兵衛というものが登り窯を築きました。
寛文年間(1661-1673)には江戸の万屋藤九郎というものが製品の販売を請願してきたため寛文5年に藩は皿山役所を設け各山の磁器製造業者に資金を貸与し大いに奨励しました。

【中尾山窯】
波佐見村井石郷(波佐見町井石)に元和年間(1615-1624)高麗人の祐慶が師となり永田皿山といわれた陶磁器窯を起こし日用品の青磁釉・青花釉をつくり後に移転して中尾山に来たといわれています。
一説には寛永元年(1624)中尾山広川原に窯を築いた中尾庄右衛門尉というものが陶祖ともいわれています。

【永尾山窯】
稗ノ尾山の分派と考えられ寛文6年の創設とされるも開創者が明らかではないそうです。

【稗古場窯】
創業は寛文年間で藩主の保護を得て陶器を作ったそうです。


【製品】
当初は呉須焼であったそうですが、天和2年(1682)に至り磁器に改良、以後年を経て罅焼(ひびやき)を発明し徳川家への献上品として重視されたようです。



以後、明治には実用品へと発展していき現在も盛んに焼かれています。












----------------------------------------

参考文献『原色陶器大辞典』

----------------------------------------


 


 


 


 


 


そのガラクタ捨てるの待ってください!!


眠ったままの古道具・骨董品はございませんか?


きちんと拝見ししっかりと買取ります!!


         ↓↓


ホームページ:http://www.sawa-d-guya.com

資料検索

例)〇〇焼、〇〇県の焼物、固有名詞などを入力してお探しください。

プロフィール

HN:
澤田
HP:
性別:
男性
職業:
古物商

カウンター