対州焼の解説です。
対州焼(たいしゅうやき)は対馬の陶磁器で対馬焼のことです。
一般に朝鮮釜山窯の製品をも含めて称することも。
対馬の陶業は大変古く、出土片から遠く新羅・百済の時代に土器を作っていたと推定されています。のちに宗家の先祖がこの島に来た時以来、桟原(さじきはら)氏が代々土器つくりを継いでいったと伝えられているそうです。
実際史実にみられるのは、享保年間(1716-1736)従来宗家から燔師を派遣して焼造に当たらせた朝鮮釜山窯の廃絶直後で対馬焼はこの釜山窯の継続と考えられています。
窯は全て厳原(下県郡厳原町)近辺にあります。
①小浦皿山窯
創始年代は不明とされていますが諸窯中で最も古いとされています。高麗青磁に近い破片が確認。
②久田窯(増田窯)
享保の頃とされる。工人に早田恵作の名があるもの、青磁および濁りのある白磁類が主。
③志賀焼窯
対馬焼の中心をなすもので享保11年(1726)の創始。平山意春らが御用窯として開いたと考えられています。寛政3年(1791)新渡り茶碗窯をこの地に起こし、染付のものがある。
文化年間(1804-1818)の吉田又市が有名で各種の器を製した。
明治末年に廃窯。
④立亀窯
創始年代は不明。初め宗家の日曜磁器を製するために起こされたそうで白磁、染付を製する。
⑤阿須窯
弘化頃(1844-1848)に始まり日清戦争後廃窯。
⑥小浦窯
明治中期の創始、しばらくして絶える。
以上対馬焼はおおむね御用窯として主に朝鮮系統の茶器類を製しました。また新渡りの染付写しなども製する。
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参考文献『原色陶器大辞典』
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