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古道具さわだ お道具資料編

古道具買取り店「京都さわだ古道具」の書画骨董、茶道具などお道具にまつわる資料を日々まとめております。読者様のご参考にしていただければ幸いにございます。

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閑谷焼ー岡山県の焼物(中国地方)

閑谷焼の解説です。


閑谷焼(しずたにやき)は備前国和気郡伊里村字閑谷(現岡山県和気郡備前町閑谷)の陶器を指します。

寛文年中(1661-1673)藩主池田光政がこの地に閑谷黌(しずたにこう=閑谷学校)を創立すると同時に、窯を閑谷山中に設けて伊部風の瓦や細工物を焼いたとされます。

特徴としては伊部焼に似て焼き色は白または淡黄色。釉薬を用いられたものもある。

【別説】

閑谷焼の別説として京都より仁清を招き、伊部の陶工らにその助手を勤めさせ祭器の制作に従事させたとも考えられています。仁清は十か月余りいたそうですが、その期間の前半は強度の火力を必要とする堅硬の土に馴れず苦慮したそうです。後に同郡片山付近の土を使い制作したとされています。これがもとになり伊部の陶工たちにも施釉の法をよくするものが出たと考えられています。

この窯の製品を白備前とも呼びます。三十余年で廃絶しました。





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参考文献『原色陶器大辞典』

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賎機焼ー静岡県の焼物(中部地方)

賎機焼の解説です。


賎機焼(しずはたやき)は駿河国府中(現静岡県)の西北賎機山の焼物です。

起源は、寛永年間((1624-1644)頃と考えられています。

天保年間(1830-1844)頃の遺品が多く見られています。
特徴は交趾風で釉によっては一見楽焼に似ています。


銘印には小判形二重楕円「賎機」数種、「賎機」、四角囲み「賎」、「御賎機小土造」など







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参考文献『原色陶器大辞典』

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渋草焼ー岐阜県の焼物(中部地方)

渋草焼の解説です。


渋草焼(しぶくさやき)は飛騨国大野郡上岡村渋草(現岐阜県高山市上岡本)の焼物です。

天保13年(1842)高山郡代豊田藤之進が旧来の陶業の頽廃を嘆き、尾張(愛知県)より陶工を招き窯を設けました。
同じころ加賀(石川県)より陶工が来て南京・古染付写しや赤絵ものを製出しました。

数年で衰退しますが、明治に入り高山町(現高山市)の三輪源次郎が同志と図り陶甄社(トウケンシャ)を立て再興、青花・青磁・白磁・辰砂などを作りました。
後に株式会社となり明治36年には芳国舎と改め継業していきました。






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修学院焼ー京都府の焼物(近畿地方)

修学院焼の解説です。


修学院焼(しゅがくいんやき)は初期京焼の一つで、後水尾上皇の修学院離宮で焼かれた御庭焼きです。

寛文4年(1664)に開窯されて粟田口の陶工が製陶に携わったそうです。

延宝(1673-1681)頃まで焼かれたと考えられています。

遺品は少なく、印は無銘で作風は堂上好みで仁清と共通している。






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小代焼ー熊本県の焼物(九州地方)

小代焼の解説です。


小代焼(しょうだいやき)は肥後国玉名郡南関郷宮尾村字竜ノ原(現熊本県玉名郡南関町宮尾、小代山北麓)の陶器です。

松風焼、五徳焼、牝小路焼、竜ノ原焼などの別名もあります。

【起源】

丹後国貧ノ小路の陶工現七が元和7年(1621)に豊前国(現福岡県)の細川家を慕い来て、寛永9年(1632)に細川氏の肥後国(熊本県)転封に従い当地に移り、牝小路と称して焼物師を命じられました。
他に、豊前国出生の葛城安左衛門もまた焼物師をしており、以来二家が並んで業を継いでいきます。

【製品】

赤土で肌が粗い高雅素朴な茶方向のものであり、当初は細川家に納めらていましたが、文化3年(1806)頃からしばらくの間一窯の三分の一を民間に売り出したといわれています。

【廃窯と再興】

牝小路家は明治10年(1877)12代喜一郎の頃廃窯。葛城家も明治20年(1887)頃光次郎の代で廃窯に。
しかし昭和になってから近重治太郎らの努力により復興を遂げます。
戦後は小代山麓にいくつもの窯が築かれるようになりました。
2003年には経済産業省指定伝統的工芸品に指定されています。



【銘印】

「葛城」「牝小路」「小代」「松風」「五徳」などの刻銘がある。古い物は箆書きまたは無銘です。





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参考文献『原色陶器大辞典』

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プロフィール

HN:
澤田
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性別:
男性
職業:
古物商

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