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古道具さわだ お道具資料編

古道具買取り店「京都さわだ古道具」の書画骨董、茶道具などお道具にまつわる資料を日々まとめております。読者様のご参考にしていただければ幸いにございます。

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堤焼ー宮城県の焼物(東北地方)

堤焼の解説です。


堤焼(つつみやき)は宮城県仙台市堤町のやきものです。
元禄(1688-1704)初年江戸の陶工上村万右衛門が当地に来て楽焼の茶器を作り杉山焼と称したのが始まりとされています。
常の藩用の茶器を命ぜられ国産陶器として奨励されたようです。

万右衛門没後は一時衰退するも宝暦(1751-1764)の頃、遠江国(静岡県)の菅原善右衛門が再興し型をもって硬焼きの瓶類を作りました。

安政(1854-1860)に至って庄司義弘が「乾馬」と号し朝鮮三島風の陶器を出します。
また蜂屋巳之吉は黒焼物を始め地方実用向きの水瓶・火鉢などを作りました。












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参考文献『原色陶器大辞典』

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壺屋焼ー沖縄県の焼物(九州地方)

壺屋焼の解説です。


壺屋焼(つぼややき)は沖縄県那覇市壺屋で焼かれた陶器類をさします。
王府の産業振興政策により1682年に琉球各地の窯を統合、以後現在に続く沖縄の中心的窯場です。

・荒焼
焼き締め陶器をさし、甕・鉢など。王府拝領の南ぬ窯(ふえぬかま)が現存。

・上焼
施釉陶器をさし、日用雑器類を焼きます。王府拝領の東ぬ窯(あがりぬかま)が現存。

・カマグワー焼
素焼き土器をさし、現在は焼かれていないようです。

以上のように区分されています。

近代に入り金城次郎など著名作家も多数おられます。








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参考文献『やきもの事典』

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砥部焼ー愛媛県の焼物(四国地方)

砥部焼の解説です。


砥部焼(とべやき)は愛媛県伊予郡砥部町の磁器をさします。
大須藩主加藤泰候が安永4年(1775)家臣加藤三郎兵衛に命じて築窯させたのが起こりといわれています。
三郎兵衛は同郡の杉野丈助を監督とし、肥前国(長崎県)大村藩の長与焼の陶工を招き砥部村大字五本松上原(砥部町五本松)に窯を築きます。一説には門田金治が出資、杉野丈助を技術者として開始したとも。
当初は地元の砥石屑を原料に磁器を焼くも失敗。これに伴い長与の陶工は帰国。一年後筑前国の上須恵(福岡県粕屋郡須恵町)の陶工信吉が砥部を訪れた際、釉石と灰が悪いために失敗すると教え肥前より材料を取り寄せ試し焼に成功。
これが砥部焼の最初といわれます。

丈助は伊予郡北山崎大字産三秋(伊予市三秋)に良い釉石を発見しこれを用い磁器の焼成を始めました。
また文化(1804-1818)頃からは川登の川底より発見された磁石を使用するようになったそうです。
次いで高野川の釉石や高坊師の白磁石が発見され一段と向上したようです。

江戸時代には主に染付を焼き、このほか鉄絵の徳利なども焼かれたようです。










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参考文献『原色陶器大辞典』

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東山焼ー兵庫県の焼物(近畿地方)

東山焼の解説です。


東山焼(とうざんやき)は兵庫県姫路市の磁器をさします。
文政(1818-1830)初め頃、飾磨郡糸引村東山(姫路市東山)に窯が築かれたようです。磁法は有田系。

のち姫路酒井家の御用窯となり文政12年(1829)頃まで焼かれたようです。

天保2年(1831)には姫路男山に移窯され京の尾形周平のもと陶技を修めた橘周蔵が支配役として、また尾形周平も来て指導にあたったようです。

安政(1854-1860)初年には藩の手を離れ民間の有志によって焼かれました。

作品は染付と青磁が主。藩営の男山窯時代のモノに優品が多いそうです。

銘には「播陽東山」「東山」「姫路製」などがあります。

明治初年頃、男山窯は廃窯。













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参考文献『原色陶器大辞典』

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常滑焼ー愛知県の焼物(中部地方)

常滑焼の解説です。


常滑焼(とこなめやき)は愛知県常滑市の焼物です。

起原については正確なものがわかっていないようです。
広島県や四国から青森県に及ぶ各地の遺跡から平安・鎌倉期の古常滑焼が出土しており全国的にわたり盛大に送り出されていたことがわかります。

自然釉や灰釉が肩に流されている炻器質の壺・甕が多く力強い作行が特徴です。
茶碗や瓦も多く見られますが宗教用・貴族用であり一般生活用品ではなかったようです。

室町期になると真焼と呼ばれる黒々とした堅い炻器の壺・甕が焼きだされました。丹波や備前・南蛮と近似しており見誤る場合もあります。

桃山時代には常滑城主水野監物が利休・津田宗及らと交流を深め常滑焼を紹介していたようです。しかし、監物は本能寺の変に際し明智片と組んだため京の嵯峨に逃れたのち天竜寺に入道しついには切腹することになります。
この事柄が常滑焼が桃山茶道にあまり姿を見せない背景と考えられています。

江戸時代の天明年間(1781-1789)頃には常滑元功斎が茶陶の世界を開いていきます。
文化年間(1804-1818)には茶道の流行とともに白鷗・陶然・長三ら名工が登場し良き時代を迎えます。

明治11年(1878)には中国より急須の製法が伝わり以来多数の朱泥急須が作り出され今日まで有名な一品となります。土管・タイルなども良く知られています。










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参考文献『原色陶器大辞典』

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プロフィール

HN:
澤田
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性別:
男性
職業:
古物商

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