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古道具さわだ お道具資料編

古道具買取り店「京都さわだ古道具」の書画骨董、茶道具などお道具にまつわる資料を日々まとめております。読者様のご参考にしていただければ幸いにございます。

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須恵焼ー福岡県の焼物(九州地方)

須恵焼の解説です。


須恵焼(すえやき)は福岡県粕屋郡須恵町上須恵で江戸時代に焼かれた染付磁器を指します。

1758年に新堂安平常興が陶石を発見し肥前の陶工の指導で染付を焼成開始しました。

1800年頃は筑前黒田藩の藩窯として41基の窯が稼動するほど盛んであったそうです。
1823年に一時民窯に移管し1859年に再度藩窯となり沢田舜山をはじめ各地の陶工を迎え殖産興業として復興します。

明治維新後は民窯となり、1902年ころ閉窯。







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参考文献『原色陶器大辞典』

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瑞芝焼ー和歌山県の焼物(近畿地方)

瑞芝焼の解説です。


瑞芝焼(ずいしやき)は現在の和歌山市鈴丸丁の産で、鈴丸焼、滅法谷焼、名草焼、紀城焼、和歌山焼などの別名もあります。

享和元年(1801)この地の豪家岡崎屋坂上重次郎の創業で二代重次郎の明治7年(1874)まで継続。1869年、明治2年から翌年まで藩の開物局の支配となる。その後もと係役人であった北林藤三郎が約1年経営し1875年に廃窯。
期間は総じて74,5年にわたりました。


名前の由来は藩主徳川治宝(はるとみ)から与えられた瑞芝堂の書額によるものだそうです。
また窯の主坂上重次郎も「瑞芝」と号していたそうです。

早くから藩の保護を受け治宝もしばしここを訪れたそうです。

また名工も招かれ度々従事しました。(京都の木米など)


創業当初は植木鉢などが作られていたそうですが、全盛期の文化文政(1804-1830)から幕末頃までには主として大型物や精巧な製作となり、最も優れたものが青磁器でした。
一説には木米の法を得たものと考えられ、磁器作品の文房具、花生け、白泥湯沸、焜炉など近似しています。
陶製品には抹茶・煎茶器、会席用品など上好のものがあります。ほかにも雑器も焼いていました。


染付ものが少なく明治初年頃に一時伊万里から原石を送らせて制作していました。「和歌山」「南紀」の書銘のあるものに多い。

この他銘印は多種にわたります。
「名草」「名艸」「鈴丸」「陶器師鈴丸十次郎」「南紀瑞芝堂製」「瑞芝」「白鳥関(三字不明)」「化物堂」「紀城化物堂製」「紀城之産」「紀城之製」「紀城」「和歌山」「南紀」「南紀製之」などなどが確認されています。








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参考文献『原色陶器大辞典』

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隅田川焼ー東京都の焼物(関東地方)

隅田川焼の解説です。


隅田川焼(すみだがわやき)は江戸(東京)の楽焼をさします。

文政2年(1819)頃に佐原菊塢が向島(墨田区)百花園内に起こしました。
隅田川中州の土を採り、多く都鳥の絵を描いた器や都鳥の香合を作りました。

銘は種々あり、桜の花内に「隅田川」は二代菊塢が十三代将軍家定の御成りの際に作ったものとされる。楕円内「スミタ川」数種、「角田川製」など。
「百花園」の銘は明治以降の製に見られる。

一説では、吉向治兵衛もこの地で楽焼を作ったといわれ、また、明治初期の陶工戸沢弁司の製も隅田川焼と称される。
さらにこの資料編の今戸焼にても解説している陶工白井半七の作も隅田川焼という場合もあるそうです。



都鳥香合とその「スミタ川」の銘印







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参考文献『原色陶器大辞典』

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瀬戸焼ー愛知県の焼物(中部地方)

瀬戸焼の解説です。


瀬戸焼(せとやき)は愛知県瀬戸市を中心に産する陶磁器の総称をさします。

瀬戸焼はご存知の通り日本国製陶業の一大集中地であり、歴史は長く窯業の盛んなことは全国でずば抜けており、「瀬戸物」というと直ぐに陶磁器を意味し広く世間に知れ渡っています。

この瀬戸は原料に重文恵まれた自然的好地にあり、技法にも極めて古い伝統を持ち、比較的当時の政治勢力の所在地にも近く、このことが当時需要のあった茶用陶器の製作し、他方には日常品を大量に作り全国陶業地の中心勢力をたらしめることに至りました。

発祥は弘仁年中(810-824)と考えられ、平安末期には朝廷の衰微と共に衰えたとされ、鎌倉期に至って民窯として再出発したとされ仏具類、皿、香炉、水滴などその他を製作しています。

室町時代初期、南北朝時代に至っては瀬戸の一大変転と考えられ宗教用具なものから日常雑器へと進展していきました。天目碗、天目釉の小皿、香炉、祖母懐壺などが出現してきます。また灰釉質のものは開いた大ぶりの碗や、小皿、仏花器、燭台なども鎌倉時代~室町時代に渡り製作されたと
考えられています。

安土桃山時代になると茶事の文化が盛んになり、室町時代のそれまでは唐物と呼ばれる輸入品を使用していましたが、信長公の時代にようやく茶事の世界において国産陶器への移行が見られその価値が認められていきます。
この時期が日本国陶磁器発達において技術・意匠の発達と変化の史上最も重要な一時期と考えられています。
この頃より製品は独創的・芸術的となっていきます。従来の灰釉と天目釉しかなかったものが、瀬戸黒や織部焼・志野焼・黄瀬戸など新種を加えていきました。装飾では印花文・画花など単純な法から鉄砂を用い器物に文様を施すことに成功していきました。
このように茶事の流行と政治勢力の圏内の影響で繁栄しました。

しかし、江戸時代の初期に入り退歩を見ます。茶事用の器の製作が安土桃山後期より次第に京都に移行し、瀬戸は日常雑器が主となっていったためです。

これ以降、家康の子義直が尾張に封ぜらると瀬戸陶祖の末裔が各地に分散させることは不得策と考え、唐三郎、仁兵衛、太兵衛ら御窯屋三家が御用窯を勤めることになりました。
御庭焼である御深井焼も現れる。

江戸中期は一時不振にあえぐが、以降、加藤民吉が様々な協力者のもと南京染付技術・肥前での磁器製法の研究などを取得し伝えた。陶業から磁業へ転じるものも出現。
これが瀬戸窯業の第二の革命とされ近代産業へと発足を遂げた時期になりました。

安政年間(1854-1860)には三井物産会社の紹介などで海外貿易の最初となる事業も始まります。以降海外貿易が開かれるようになり販路は拡大し明治に入るとオーストリア博覧会、パリ万国博覧会などを経て「瀬戸物」の評価が高まっていきました。

以後、近代に入っても陶磁業は盛んに行われて現在に至ります。






瀬戸燭台


瀬戸茶入






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参考文献『原色陶器大辞典』

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膳所焼ー滋賀県の焼物(近畿地方)

膳所焼の解説です。


膳所焼(ぜぜやき)は近江国膳所(現滋賀県大津市膳所)の陶器をさします。

元和7(1621)~寛永11(1634)年までの膳所城主は菅沼織部定芳(1643、寛永20没)でこの時代にはすでに焼かれていたと考えられています。

菅沼織部は光悦・松花堂・遠州らと茶交の篤かった数寄者でした。

膳所の窯で特に茶陶で有名なのは瀬田の大江で、その作陶は織部時代と考えられています。次の城主石川忠総(1650、慶安3没)が遠州の弟子で、遠州好みの茶入が焼かれ「大江茶入」が有名である。

石川家が1651年に伊勢亀山へ移封の後は本多家が膳所城主となり幕末まで続きます。
本多家の御用窯は雀ケ谷(現:雀ケ丘)にあり雀ケ谷焼ともいわれます。
また幕末の交趾釉の梅林焼も膳所焼の一種として数えられています。


特徴は瀬戸系の陶法で鉄釉を特色とします。


【補足】

近江国瀬田(現滋賀県大津市瀬田)の陶器である瀬田焼も旧膳所領内にあったため膳所焼の中に入っています。





膳所茶入



膳所捻梅水指(現代)と「ゼ:」印









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参考文献『原色陶器大辞典』

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プロフィール

HN:
澤田
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性別:
男性
職業:
古物商

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