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古道具さわだ お道具資料編

古道具買取り店「京都さわだ古道具」の書画骨董、茶道具などお道具にまつわる資料を日々まとめております。読者様のご参考にしていただければ幸いにございます。

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嵯峨焼ー京都府の焼物(近畿地方)

嵯峨焼の解説です。


嵯峨焼(さがやき)は山城国(現京都府)の焼物をさします。

しかしながら窯や陶工などについては詳細がつかめておらず、おそらく文化・文政(1804-1830)後に焼かれたものであろうと考えられています。

銘印に「嵐山」、「嵯峨」が確認されています。









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参考文献『原色陶器大辞典』

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笹島焼(篠島焼)ー愛知県の焼物(中部地方)

笹島焼の解説です。


笹島焼(ささじまやき:篠島とも書く)は名古屋笹島(現中村区笹島町)の雅陶です。

文化年間(1804-1818)に文七(号:朴斎、1857年安政4年没、76歳)という人物が創始した楽焼の一種。


窯印は小判形「篠島」、単に「篠島」の二字。
二代文吉、三代某が行を伝え、窯印は「篠」の字を変えて「笹島」とした。




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参考文献『原色陶器大辞典』

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佐渡焼(相川焼)ー新潟県の焼物(中部地方)

佐渡焼の解説です。


佐渡焼(さどやき)は新潟県佐渡郡相川町に産する陶器の総称をさします。
別名相川焼(あいかわやき)とも呼ばれます。

【種類】

・金太郎焼
寛永年間(1624-1644)、黒沢金太郎創始。

・雲山焼
文化年間(1804-1818)、伊藤甚兵衛創始。

・常山焼
明治初年、三浦常山創始。

・赤水焼
天保(1830-1844)初年、伊藤赤水創始。

・波山焼
大正9年(1920)頃、藤井波山創始。

これらの内、常山焼と赤水焼は同地の無名異の土を原料とすることから「無名異焼(むみょういやき)」とも呼ばれます。









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参考文献『原色陶器大辞典』

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薩摩焼ー鹿児島県の焼物(九州地方)

薩摩焼の解説です。


薩摩焼(さつまやき)は鹿児島県産の陶磁器の総称をさします。(※狭くは錦手を指して薩摩焼と称する例があり。)

【種類】

古帖佐焼ー藩窯、陶器、炻器

元立院焼ー民窯、磁器、炻器

串木野焼ー民窯、陶器
http://kottou.kyotolog.net/furudo-gu.blog/Page/5/

苗代川焼ー民窯、陶器、磁器

山元焼ー藩窯、炻器

竜門司焼ー民窯、炻器、磁器

堅野焼ー藩窯、陶器

磯御庭焼ー藩窯、陶器、磁器

仙巌焼ー藩窯、陶器

新御庭焼ー藩窯、陶器

磯焼ー民窯、陶器
http://kottou.kyotolog.net/furudo-gu.blog/Page/45/

笠野原焼ー民窯、陶器・土器

平佐焼ー藩窯、磁器

平佐皿山焼ー民窯、磁器

長太郎焼ー民窯、陶器

などなど。

三田焼ー兵庫県の焼物(近畿地方)

三田焼の解説です。


三田焼(さんだやき)は兵庫県三田市三田の青磁を指します。

寛政初年(1789-1801)頃、三田の豪商神田惣兵衛は陶工の内田忠兵衛の政治焼成の悲願にほだされ巨額の資金を投じ陶業を助けることになりました。

天狗ケ鼻に窯を築きこれが三田焼の起こりとなりました。

惣兵衛は青磁研究のため忠兵衛を有田に遣わし陶工を招きいれました。

享和元年(1801)忠兵衛が香下村砥石谷で青磁の原石を発見し、文化の初年(1804-1818)には青磁の試し焼に成功したとされます。

文化の7年(1810)には京都の奥田潁川に指導を仰ぎ、またその弟子の欽古堂亀祐を迎えて青磁の制作を本格化させていったそうです。

文化・文政年間(1804-1830)頃に最盛期を迎えたそうです。

その後、亀祐が帰京、惣兵衛が没すると次第に衰退傾向になります。

以後、

天保年間(1830-1844)、向井喜太夫が業を譲り受ける。

安政年間(1854-1860)頃、田中利右衛門が継ぐが業績不振。

明治に入る、、、。
三田陶器会社が設立。

明治22年(1889)出資者の一人芝虎山、これに専念。

大正11年(1922)虎山没後、有志が相寄って一窯焼いたのを最後に絶える。


製品は天竜寺手調、秀作多し。香炉、茶器、皿、鉢、文具、置物など。
呉須手の写し物も焼いていた。





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参考文献『原色陶器大辞典』

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プロフィール

HN:
澤田
HP:
性別:
男性
職業:
古物商

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